ボーソー油脂のあゆみ

年表

  • 昭和20年代
  • 昭和30年代
  • 昭和40~50年代
  • 昭和60~平成初期
  • 平成初期~現在
  • リーダーの肖像など

草創期

昭和20年代 昭和20年代 昭和20年代

昭和22年
(1947年)12月

房総油脂工業株式会社を創立、本社ならびに工場を千葉県船橋市海神町3丁目211に設置する。

■日本国憲法が施行され、全国の都市で児童300万人に対して学校給食始まる(47年)。
■1950年には朝鮮戦争が勃発。
■特需景気となり、戦後色は薄れる。
■翌51年にはサンフランシスコ条約・日米安全保障条約が締結される。
■53年には個人所得が戦前の水準に戻り、「電化元年」とされ、テレビや電気洗濯機が家庭に普及し始める。

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昭和29年
(1954年)11月

本社および東京事務所を中央区日本橋兜町3丁目28に移転する。

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米油のエキスパート企業を目指す

昭和20年代 昭和20年代 昭和20年代

昭和31年
(1956年)

食用油を"ボーソーこめあぶら"の商標で(株)明治屋と特約、各デパート、有名食料品店で発売する。

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■合成洗剤が登場し始め、三種の神器が主婦のあこがれとされる。
■国際連合へ加盟。

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昭和32年
(1957年)

ビルマに、日本最初の米糠製油、精製、石鹸のプラント輸出および技術指導をする。
家庭用てんぷら油を新発売。

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■南極に昭和基地建設。
■東海村に原始の火ともる。
■100円硬貨が発行され、たばこ自動販売機登場。

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昭和34年
(1959年)

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インドネシア大統領、船橋工場視察に来場される。

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ボーソーサラダ油の本格的生産に入り、新発売する。

■皇太子様ご結婚、ミッチーブームに沸く。
■1964年東京オリンピック開催決定。
■少年マガジン、サンデー創刊。

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昭和35年
(1960年)

長岡油糧株式会社(新潟県長岡市)に出資、経営参画する。
社名をボーソー油脂株式会社と改称する。
船橋日の出工場を主力工場とする工事に着手する。

■日米安保条約延長への反対闘争強まる。
■ローマオリンピック開催。
■だっこちゃんブーム。

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■ソ連、人間衛星第1号打ち上げ。
■第2室戸台風による死者202名に。
■大砲・柏戸そろって横綱に昇進。

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昭和36年
(1961年)

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東京証券取引所市場第2部に上場される。

昭和38年
(1963年)

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船橋工場完成

 

昭和38年
(1963年)

東海こめ油株式会社(静岡県掛川市)を新設、経営に参画する。

■吉展ちゃん誘拐事件、佐山事件、草加次郎爆弾事件。
■伊藤博文の新千円札発行。
■力道山刺殺される。
■ケネディ暗殺される。

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昭和39年
(1964年)

新製品「サラダエース」〈こめサラダ油〉を発表する。

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変革期を迎えて

昭和20年代 昭和20年代 昭和20年代

昭和41年
(1966年)

本社を中央区日本橋本町1丁目1共同ビルに移転し、本社事務所を船橋工場内に併設する。

■人口一億人突破。
■ビートルズ来日、フォークソングの流行。
■NHK「おはなはん」平均視聴率50%を記録。
■米油にコレステロール値を下げる効果があることが鈴木博士によって証明される。

昭和44年
(1969年)

クミアイ油脂株式会社(神奈川県平塚市)を新設、経営に参画する。
新製品「調合コメ油」を発売する。

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■米アポロ11号月面着陸。
■ベトナム戦争反戦運動・大学紛争激化。
■東大「安田城」陥落。
■パンタロン流行。
■高校野球で三沢・松山商18回引き分け再試合。

昭和46年
(1971年)

ムサシ油脂株式会社(埼玉県日高町)を新設、経営に参画する。

■沖縄返還調印式。
■日本マクドナルド1号店開店。
■カップヌードル発売。

昭和51年
(1976年)

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千葉市六方町231に千葉工場を建設し、最新式連続抽出設備を設置する。

新製品「ボーソー粉せっけん75」を発売する。
粉石けんに適した原料である米ぬか脂肪酸を原料油脂に使用した洗濯用粉せっけん「くみあい粉石けん」を発売する(NB1号)。
生協のプライベートブランド1号である東京都民生協「おはよう」を発売する(PB1号)。

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■「ロッキード事件」発覚。
■「およげたいやき君」400万枚超売り上げの大ヒット。

昭和52年
(1977年)

南日本コメ油株式会社(鹿児島県鹿児島市)を新設、経営に参画する。

■人口1億1千万人突破。
■読売巨人軍王貞治選手756号ホームランの世界記録、国民栄誉賞第1号。
■日本赤軍日航機ハイジャック。

昭和55年
(1980年)

生協台所用粉石けんを発売する。ボーソー台所用粉石けんを発売する。

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昭和56年(1981年)

横浜市戸塚区に横浜倉庫を新設、合理化を行う。
新製品「米寿ハイパワー」を発売する。
「せいきょうシャンプー」「ママクリーンシャンプー」台所用液体石けん「ママクリーン」(米ぬか脂肪酸を原料油脂に使用)を発売する。

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■中国残留日本人孤児初来日。
■英チャールズ皇太子、ダイアナと結婚。
■貴ノ花・輪島引退。
■漫才ブーム。

昭和58年
(1983年)

高級化粧品シリーズとして米ぬか由来原料を配合した新製品「アウターオリーゼ」を発売する。
「せいきょうスキンケアオイル」を発売する。

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■ソ連機、大韓航空機撃墜。
■東京ディズニーランド開園。
■NHK「おしん」国民的番組に。
■戸塚ヨットスクール事件。

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多角化・安定の時代

昭和20年代 昭和20年代 昭和20年代

昭和60年
(1985年)9月

調合コメ油ソフトマーガリンを新発売。

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昭和61年
(1986年)

コーン油につづいて、なたね油の製油・精製を本格的に開始する。

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■青函トンネル開通。
■科学万博つくば開催。
■日本航空 ジャンボジェット機御巣鷹山に墜落。

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昭和61年
(1986年)12月

タイ国に現地資本と合併で、米油の生産を目的としたSNBアグリプロダクツ社を設立する。

■男女雇用機会均等法成立。
■チェルノブイリ原発事故。
■スペースシャトル「チャレンジャー」爆発。
■ダイアナ妃来日フィーバー。
■「写るんです」発売。

昭和62年
(1987年)1月

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第9次生産合理化計画を策定し、船橋工場、千葉工場、ムサシ油脂の生産能力増強を図る。

■国鉄民営化。
■携帯電話登場。
■海外でのジャパン バッシング頻発。
■石原裕次郎没。

昭和63年
(1988年)6月

取締役社長勝本昭二は相談役に就任、取締役会長大山田晋が取締役社長を兼任。

■バブル景気最盛期。
■リクルート事件発覚。
■ソウル オリンピック開催。
■カウチポテト族・「ドラクエ」 ブーム。

平成元年
(1989年)6月

取締役副社長松本宇市が取締役社長に就任する。

■昭和天皇崩御、「平成」へ。
■米ソ冷戦終結、ベルリン の壁崩壊。
■坂本弁護士事件。
■任天堂「ゲームボーイ」 発売。
■美空ひばり・手塚治虫没。

平成2年
(1990年)4月

A-1ソフトマーガリンを新発売。

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■東西ドイツ統一。
■第2次海部内閣発足。
■雲仙普賢岳 200年ぶりに噴火。
■大阪で「花の万博」開幕。

平成2年
(1990年)11月

会長大山田晋は、米油産業に対する貢献者として勲4等に叙し、瑞宝章を授与される。

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会長 大山田晋

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信頼の企業へ

昭和20年代 昭和20年代 昭和20年代

平成4年
(1992年)9月

ボーソーいきいき改善活動(BKK)のキックオフ

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■大学入試が「センター試験」に。
■アルベールビル冬季オリンピック開催。

平成6年
(1992年)

めし炊き名人「ライスマン」新発売

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平成11年
(1999年)7月

本社および東京事務所を東京都中央区日本橋室町2丁目4番2号に移転する。

■石原東京都知事誕生。
■世界最大メガバンク「みずほ銀行」誕生。

平成12年
(2000年)4月

船橋工場がISO9001の登録を受ける。
調合コメ油CM制作。

■「介護保険」「年金制度改革」スタート。
■2000円札 発行。
■BSデジタル放送開始。

平成13年
(2001年)6月

取締役社長松本宇市は相談役に就任、専務取締役垂水龍介が取締役社長に就任。

■アメリカ同時多発テロ事件勃発。
■ユーロ統一通貨 流通開始。
■北朝鮮拉致被害者5人帰国。
■イチロー 大リーグ新人王。

平成17年
(2005年)6月

資本金135,130万円に増資。

■愛知万博開催。
■郵政民営化法案で大量の造反議員出る。
■プロ野球セパ交流戦開始。

平成18年
(2006年)9月

本社および東京事務所を東京都中央区日本橋本石町4丁目5番12号に移転する。

■皇室に41年ぶり男子誕生。
■ライブドア事件。
■安倍内閣誕生。
■WBCで日本初代世界一。

平成19年
(2007年)9月

米油7年ぶりにパッケージリニューアル。

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■新潟中越沖地震発生。
■参議院で与野党逆転。

平成19年
(2007年)12月

創業60周年を迎える。

Change the future

■郵政民営化。
■第1回東京マラソン開催。

平成20年
(2008年)2月

環境省策定の環境活動評価プログラム「エコアクション21」に認証、登録される。

■後期高齢者医療制度スタート。
■米国発の金融危機拡大、世界不況に。

平成22年
(2010年)2月

「食品産業CO2削減大賞 農林水産大臣賞」を受賞する。

■参院選で民主党大敗、ねじれ国会に。
■小惑星イトカワから「はやぶさ」帰還。

平成25年
(2013年)6月

取締役社長垂水龍介は相談役に就任、専務取締役片岡治男が取締役社長に就任。

平成29年
(2017年)6月

取締役社長片岡治男は相談役に就任、常務取締役齋藤典幸が取締役社長に就任。

令和元年
(2019年)6月

取締役社長齋藤典幸が退任、取締役川崎薫が取締役社長に就任。

令和元年
(2019年)10月

食用加工油脂HACCP承認取得

■消費税10%に引き上げ
■ラグビーW杯日本8強
■京都アニメーション放火殺人

令和2年
(2020年)7月

昭和産業(株)の子会社となる

■東京五輪1年延期
■藤井聡太さん最年少二冠
■新型コロナウイルス感染拡大

令和3年
(2021年)1月

資本金10,000万に減資する

■東京五輪・パラ開催
■コロナ・オミクロン株の拡大・ワクチン接種進む
■眞子さん、小室さんと結婚

令和4年
(2022年)4月

取締役社長 川崎薫が退任、昭和産業(株)より金子俊之が取締役社長に就任

■成人年齢18歳に引き下げ
■安倍元首相銃撃死
■山口県でコロナ特別給付金4630万円誤送金
■佐々木朗希28年ぶり完全試合達成

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リーダーの肖像

初代社長 直野 良平 S22.12~S36.5

大分県に生まれる。慶応義塾大学理財科病気中退。父親が経営する朝鮮京畿道開城の農園で療養するため渡韓。大正9年、29歳の折、独立し、仁川で直野精米所を始める。昭和11年より米油の生産を開始する。昭和15年には大豆搾油、米油の精製、石鹸の製造を行う共栄油脂を設立。
しかし、敗戦に至り昭和20年帰還。2年間の苦闘の末、千葉県船橋市に房総油脂工業を創立する。同時にメーカー同士が競争するだけでなく協力し合わなければ米油が産業として成立することはできないとの考え方から、全国米糠油工業協同組合の創立にも注力、8年にわたり理事長としての重責を果たす。昭和36年8月、産業功労賞、農林大臣賞を受賞、さらに昭和45年には米油工業の発展への貢献が認められ、勲5等双光旭日章を授与されている。

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直野 良平

第2代社長 真島信夫 S36.5~S39.11
第3代社長 平岡 茂 S39.11~S48.5
第4代社長 大山田晋 S48.5~S59.6
第5代社長 勝本昭二 S59.6~S63.6
第6代社長 大山田晋 S63.6~H1.6
第7代社長 松本宇市 H1.6~H13.6
第8代社長 垂水龍介 H13.6~H25.6
第9代社長 片岡治男 H25.6~H29.6
第10代社長 齋藤典幸 H29.6~R1.6
第11代社長 川崎薫 R1.6~R4.4
第12代社長 金子俊之 R4.4~

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当時の会社案内

米油がデパートや食料品店で販売され始めたのを皮切りに、天ぷら油、サラダ油などの本格的な生産・販売展開がスタートした時期。社名を「房総」からより全国展開のイメージが強い「ボーソー」に変更し、東京証券取引市場第2部への上場も果たす。昭和30年代末には「東京オリンピック」が開催され、時まさに高度経済成長期。連続脱臭機の導入などによって米油の品質も大幅に改善されると同時に合理化にも拍車がかかった。

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石けん運動

昭和52年に滋賀県琵琶湖で起こった赤潮大発生をきっかけとして、その原因の一つである家庭用有リン合成洗剤の使用を粉せっけんにきりかえようという運動が全国に広がった。 生活排水は海、川、湖などを汚すだけでなく、その生態系にも大きな影響を与えることが指摘されたのだ。滋賀県では、運動は「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例(びわ湖条例)」に結実し、その後神奈川県や千葉県手賀沼などにも水質保全を求める活動が広がっていった。
この運動に特に熱心に取り組んだのが生活協同組合(生協)で、独自のブランドで粉せっけんを開発したばかりでなく、粉せっけんの上手な利用法やせっけんシャンプーで洗うコツなどについて各地で啓蒙活動を展開した。ボーソー油脂も生協とともに北海道から九州まで全国規模で粉せっけんの普及活動に協力、生協の組合員さん向けにせっけんの基礎知識や使い方講習会、実験等をまじえた学習会を年間100件程度こなした。また、せっけん製造工程を実際に見てもらうための工場見学を主催するなど積極的に取り組んできた結果、生協PB商品が数多くうまれた。

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ボーソーいきいき改善活動

円高や食生活の変化で油脂業界の競争が厳しくなっていた平成4年、仕事の仕方を見直し、設備や働く環境を改善して会社の体質を強化しようと、全社的な取り組みとして始まったのが 「いきいき改善運動」(BKK=ボーソー改善活動)である。 活動の目的は、1.他社に負けない品質と低コストの達成、 2.安全と働きがいのある職場づくり、 3.人と組織を活性化し、人材の育成をはかる、 4.食品工場としてふさわしい会社にする、の4点。これを実現すべく、以下の8項目が重点項目に設定され、具体的な目標値と達成までのプラン・スケジュールが定められた。

1.生産設備の故障の低減
2.クレームゼロをめざす
3.生産性の向上
4.変動加工費の削減
5.人的災害の撲滅
6.事務部門の簡素化
7.事務所のスペースづくり
8.人材の育成

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各部一丸となっての取り組みの結果、平成7年までの3年間で生産設備の故障の大幅な低減、生産性のアップなど、ほぼ当初の目標をクリアする成果が得られた。
特に大きく変わったのが、働く環境の整備状況。全員で壁や天井を塗り替えたり、床タイルを貼り替えたり、自分の回りのスペースを整理整頓したことで働きやすくなったと同時に会社に対する愛着も一層増し、環境をきれいに保とうという意識も生まれてきた。さらに、社員の中にやればできるという自信やよりよくする(なる)ための改善提案をしたいという意欲も生まれてきて、目標達成以上の成果を得ることができた。通常の仕事をしながら改善に取り組まねばならないという厳しい条件の中で社員のモチベーションが目標値達成のためにいかに大切かが証明された活動であった。
この活動は、月1回のペースで各項目に対してチェック・点検を行うという「維持管理活動」として、現在も継続している。

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